New Entry!
【高宮】「黒羽(くろは)」こってり素朴な博多ラーメン
詳しく見る →
【高宮】「黒羽(くろは)」こってり素朴な博多ラーメン
詳しく見る →
絶景よりも日常風景が好き。
こんにちは、散歩が趣味のぱっかんです。
皆さん「絶景」好きですか?
もちろん僕は(も?)好きです。
高台からの夜景、雄大な自然、日常とは違う“ソレ”。
最高ですね、絶景。
でも、僕は絶景を超えて「日常風景」の方が好き。
というわけで今日は「日常風景の素晴らしさ」を語ります。
目次
朝目覚めた時の最初の景色。
部屋の中。
気温確認で窓を開けた時に最初に飛び込んでくる景色。
いつもの通勤路。
仕事終わりのちょっと気怠いコンビニ。
「常景※」と言えば良いのでしょうか。
こういう「何気ない日常」。
ただそれだけのもの。
でもそれが美しい。
というわけで次項より「何気ない日常風景に感動できる理由」を解説します。
※常景という日本語はありません
冒頭でも少し話しましたが、僕は夜景や雄大な景色も好き。
でも「絶景」って、たいていの場合「俯瞰した景色」だと思います。
もちろんその限りでは無いんですが、例えば我々にとって最も身近な絶景「夜景」は、高い場所から俯瞰して大量の光の粒を見ています。
つまり「マクロ」な景色。
対して日常風景のほとんどは身近なもの。
そこにあるもの。
手の届くもの。
新海誠監督の「君の名は。」や「天気の子」などは、「日常の背景」を凄くキレイに描いています。
そして現実世界も「君の名は。」と同じように、実は美しい。
身近にあるからこそ、そこにあるからこそ、目の前にあるからこそ それが分かる。
早い話が、「ついさっき新海誠作品を立て続けに見て、何気ない日常の景色があまりにも美しく描かれていたから、調子に乗ってこんな記事を書いている」が本音です。
アドラー心理学では「他人の課題と自分の課題を切り分けて考えなさい」とあります。
これは気にしいの僕にとっては救いの言葉で、「他人の顔色を伺う生活からの脱却」に繋がりました。
これがどう「日常風景」に繋がるかと言うと、日常風景、つまり「すぐそこにある景色」は、自分の影響の範囲内の出来事です。
もし落ちてるゴミが気になるなら自分で拾えば良い。
目の前にあるソレは「自分の課題」であり、自分でコントロールしようと思えば出来ること。
「自分の家が好き」というのも「日常風景」に当てはまります。
だから僕は掃除が好き。
別の例では、例えば子供時代を過ごした場所は、そこが何の変哲もない場所でも、久しぶりに帰ると特別な感情が湧いてきませんか?
それはあなたが過ごしたからそう感じるのです。
あなたが居たから特別なのです。
「自分が関与してる」とはそういう意味です。
散歩ブログをやっていると、たまに「私が毎日通っている道が記事になってて嬉しい」とこっちまで嬉しくなるコメントをいただくことがあります。
この「福岡散歩ブログ」は決して有名な媒体ではありません。
それでも「身近なものが取り上げられる」って嬉しいこと。
僕のブログじゃなくても、個人がやってる「Gooブログ」とか「アメブロ」アカウントの食べ歩きブログとか、そういうものでも「こないだ私が行った店が書いてあってなんか嬉しい」ってなりませんか?
つまり、私たちは「私の過ごしてるこの街」が好きなんです。
最初は嫌いでも、長く住めば、否が応でも好きになってくるんです。
普段は「この街が好き」なんて思わないですよね。
一度もそんなこと口にしないですよね。
でも、どこかで誰かが自分の近所の話をしてたら、つい嬉しくなる。
この「実は好き」という感情を再確認すると、「身近なもの」に感動できるんです。
いつも素通りしているその風景にも、たくさんの情報があります。
「うわ、工事中かよ、めんどくさいなぁ」なんて思っちゃったその道路も、プロが施工してくれるからキレイで、当たり前に安心なんです。
そう考えると、何気ないこの日常が素晴らしいものに感じられませんか?
途中少し宗教っぽい口調になった気もしますが、「日常風景はこんなに良いものなんだよ」というお話でした。
それでは それぞれの「日常風景」をお楽しみください。
この記事を書いた人
名前:ぱっかん(@pakkan316)
webサイト制作やコンテンツマーケティングの仕事をしています。
大袈裟な旅行よりも小さな散歩が好き。
福岡にはたくさんの有名観光地がありますが、「福岡散歩ブログ」では僕が「何気ないけどちょっとワクワクする」と感じたニッチなロケーションを主に紹介しています。
記事を読み終えた後に「近所をちょっと歩きたくなったな」と思ってもらえるような、そんなメディアでありたい。
お問い合わせはこちら:お問い合わせフォーム